みはるんのぽれぽれライフ

日常のこと、趣味のウクレレのことなどのんびり綴っていきます

自分を守りながら働く。

去年の12月に痛めた右手と右ひざがようやく治りかけてきたと思ったら、今度は左手を痛めてしまいました。

仕事で段ボール箱の組み立てをするとき、いつも右手でテープ本体を持ち、左手でテープの端を持って引っ張ったり貼ったりします。ところが粘着力の強いテープを使っているうちに、左手の人差し指に粘着部分が繰り返し貼り付いて、指先の皮がむけてしまったのです。これ以上無理して箱作りをしたら、指の肉が露出してしまうところまで指先が赤くなりました。触るともちろん痛いです。

1月末から2月いっぱいまで早出勤が続き、体力的にも相当きつくなっていました。さすがに私の我慢も限界になり、主任に赤くなった指先を見せて、箱作りを他の人に替えてほしいことと、2月末から3月頭の1週間は定時より1時間早く上がらせてほしいことをお願いしました。結果、朝は早出勤が無くなり、私の希望通り早く上がれることになりました。仕事も、箱作りには他の人を充てて、私は手袋をはめてする箱詰めの仕事に回してもらいました。

指のことを心配して聞いてきた同僚の皆さんには、正直に赤くなった指を見せて皮がむけた経緯を話し、箱作りを代わってくれた人にはお礼を言いました。主任の態度は何となくきつくて、早く私に箱作りに戻ってほしそうでしたが、指が治るまではひたすら低姿勢で、できる仕事をしてしのぐしかなさそうです。

入社してから丸6年、ほぼ全面的に箱作りを任されて、一時的にとはいえ自分の都合で箱作りの仕事を離れることには心苦しさもあったのですが、結局は自分の体を守ることを選びました。ただでさえ箱作りは、社内の他の仕事に比べて体力的な負担の大きい仕事だと思います。その大変さを他の人に背負わせたくない、でもこれだけ大変だということを分かってほしい、両方の気持ちがあって葛藤していたのも事実です。

箱作りをしなかった1週間が終わって思うことは、私は今まで会社に尽くしたい一心でこれまで頑張ってきたのかもしれないということです。障害者雇用で、一般枠の募集しかないところをわざわざ障害者枠を作ってもらって応募、入社した経緯があります。それだけに、雇ってもらえた感謝の気持ちを仕事で返したい気持ちがあったのだと思います。でも、毎日何百枚もの段ボール箱をほぼ一人で組み立てることに、限界を感じるようになってきました。指の皮がむけたことが引き金になって、ついに自分から箱作りの仕事を降りました。それでも、他の人が箱を作って、何とか仕事は回っている。なあんだ、と拍子抜け。何でもっと早く、箱作りを代わってほしいと言わなかったのだろう。自分を守る選択肢はあったのに、ずっと選んでこなかった。やっと選べて良かったね、と自分に言ってやりたいです。

会社に貢献したい気持ちは、行き過ぎると逆に自分を消耗させます。自分の体の限界を知り、キャパシティー(許容量)とのバランスを取ることが大事だと、今回の出来事を通して身をもって知ったのでした。