みはるんのぽれぽれライフ

日常のこと、趣味のウクレレのことなどのんびり綴っていきます

どうにもならないとき。

会社の年末年始休みも、今日で終わりです。
振り返ると、どこか遊びに行くでもなく、必要最小限のことを済ませて後はゆっくりしていたなと思います。
先月の初めに職場で転倒して右手と右ひざを痛め、仕事は多忙のうえ休日も車が使えなかったりで医者に行くのが遅れに遅れ、ようやく整形外科にかかれたのは休みに入った12月29日のことでした。
幸い骨には異常がなかったのですが、右手はすじを痛めていて治るのに1~2か月はかかると言われました。仕事ではどうしても手を使うので、1週間の休みのうちだけでもできるだけ右手をかばうようにしてあまり動かさないように、と言われました。右手には塗り薬、右ひざには冷湿布が出され、とにかく早く治すことを心掛けました。
文字を書くだけでも痛い、包丁で野菜などを切っても痛い、ウクレレの練習も休まなくてはいけない。(パソコンを打つのはあまり負担がないので今でもできます)あまり長くは歩けない。かなり日常生活に制限がかかり、だいぶ気持ちが滅入っています。それでも、音楽を聴いたり本を読んだりはできるので、大好きな中島みゆき(インストバージョン)を聴きながら、しいたけ占いの本など読んで休日最終日をじっくり味わっております。

いくら焦ったところで治るものではないので、できるだけ患部をかばって薬は一日3回はきちんと塗って、後はいかに気持ちを落ち込ませないか。私の場合、できるだけ人との距離を取って一人の時間を確保して、好きなものに囲まれてゆっくり過ごすこと。それがいちばん気持ちが落ち着く方法だと思います。

明日からまた仕事ですが、終業後はできるだけ早く帰宅して自分の体をいたわる時間に充てたいです。

2022年、ゆっくり始動。

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
昨年の振り返りブログ、読み返してみてあまりにも自分のできなかったことばかりを並べた愚痴ブログになってしまったので、少し反省しまして。
今年は目標をどうしようか考えたのですが、逆に目標を立てるとそれに縛られて自分をしんどいところへ追いやってしまうような気がして、あえて立てないのもありかな、と考えました。
ただでさえコロナ禍が収まる気配もなく、いろいろやりたいことも我慢を重ねている。そのうえで仕事や家庭でのストレスもある。だから今年は、少しでも自分が心地よくなるように過ごしたい、という気持ちがあります。
もう50歳を過ぎ、体力的にも精神的にも無理がきかなくなってきているのを感じます。主治医からも、疲れやすさと感覚過敏を指摘されています。発達障害特有の疲れ方というものがあり、結構ギリギリまで頑張ってしまって気が付いたときにはただちに休まなければ回復するのに何か月もかかるくらいまでダウンしてしまうレベルです。
また、自分の良くない癖として、自分にダメ出ししやすいことがあります。良くなかったことは気付きやすく、あれもダメだった、これもダメだったと思い出して落ち込みやすいです。その反面、自分の得意なことやできていることに関しては、人から褒められても今一つ受け入れられなかったり、自分にとっては普通のことだからなぜそんなに褒めるのか分からなかったりということがあります。
だから今年は、とにかく仕事や家事で無理をしないこと。疲れが溜まってきたら、大事にならないうちに休みを取る。自分を責めない。褒められたら素直に受け取る。こういったことが、強いて挙げれば今年の目標になるでしょうか。
2022年は、ゆっくり行こうと思います。ブログのタイトル通り、「ぽれぽれ」でね。

2021年を振り返る。

気が付けば、あっという間に大みそか。振り返ると、仕事に追われた1年だったように思います。そのぶん、プライベートな時間が削られ、ストレスも溜まり、衝動買いが増えると言う悪循環。年初めに立てた目標の真逆を行く結果になったことは認めざるを得ません。
ちなみに、年初めの記事がこちら。

 

porepore-uke.hatenablog.com

暮らしのダウンサイジングどころか物は増え、汚部屋にさらに拍車がかかる状態に。特に本が増えました。仕事でも家でも諸々悩みを抱え、一番の相談相手にしているのが本なのです。自己啓発系の本、精神医療系の本、漫画も少し。売るなどして減らしたほうがいいのは百も承知ですが、まだ読みたい本がほとんどで、当分手放せそうにありません。
自分と向き合う時間も、ほとんど取れませんでした。仕事と家事に時間を取られ、やらなければならないことをこなすのが精一杯で、自由な時間が確保できず全く気持ちの余裕はありませんでした。
ウクレレはレパートリーを増やせず、ボールペン画は結局やめてしまいました。コロナ禍は終息する気配さえなく、笑う機会が増えるはずもありませんでした。
何だか力を使い果たした1年のようで、今はただゆっくり休みたいのです。目標には程遠い現状でも、ちゃんと自分にお疲れ様を言って、ねぎらってあげたいです。



いわゆる雑用のこと。

職場では本来の業務のほかに、種々雑多の雑用と言われる仕事も発生する。私の勤める会社(工場)でも、ゴミ出し、用具の移動、用具の片付け、再利用製品の処理、製品を入れる通い箱を広げること、などなど多岐にわたる。それらの仕事はほぼ、私が主任から命じられてやっている。
私の担当する業務は、出荷用の段ボール箱の組み立て、あとはいわゆる雑用に時間を割かれる。時間があれば製品の箱詰めもやらせてもらえるが、雑用が発生すればそちらが優先されて箱詰めは中断させられる。
他の人たちが箱詰めを続ける中、私だけが指名されて雑用をしなければならない状況に私も含めて同僚たちの間でも違和感を覚える人は多い。私は既に勤続5年以上、新しい人だって入ってきている。それなのにこの扱いは何なのだろうと、ずっと疑問に思っていた。それでも、私だからこそ頼みたいことだってあるだろうし、雑用でも立派な仕事だからと割り切ってやってきた。そんな気持ちを打ち砕くようなことを、ある一人の同僚から面と向かって言われたのである。

「かわいそうに」

 

一瞬、頭の中が真っ白になった。一言でも言い返せなかったのが悔しい。
おそらく彼女は、箱詰め以外は仕事じゃないと思っているのだろう。ゴミ出しなど自分の仕事ではない、格下の仕事と思っているからそういう見下した発言ができるのだ。

仕事帰りの買い物先で、最近よく目につくようになったのはいわゆる裏方の人たちだ。お店の床掃除をする人、品出しをする人、消毒液の補充をする人、駐車場の買い物カートを整理する人、などなど。商品の値札だって、誰かが貼ってくれたものだ。店員全員がレジ打ちをやりたがったら、当然お店の中は回っていかない。いろいろな仕事をする人がいて、初めてお店が円滑に回っていくのだ。

だから私は、そういう人たちにこそ敬意を払いたい。駐車場でカートを店内に戻す係の人がいたら、お願いしますと言って使ったカートを預けるようにしている。

お店でも自分の職場でも、きれいに整理されて補充すべきものが満たされている場所は、やはり居心地がいいものである。そう、会社の中の雑用は環境整備と言い換えてもいいかもしれない。それを私が任されているのだ。そう受け止めるだけで、今の仕事にも前向きに取り組んでいける。他の人がどう思おうが、関係ない。充分に、誇りを持っていい。

事業所のかりんとう。

今日もかりんとうが置いてある。味噌味はぜひ。海苔味もこの前食べて美味しかったから買おう。着々と新商品の開発も進めてるみたい。また来たら買うね。応援してるよ、後輩たち。日曜の朝、近所の農産物直売所で野菜や果物と一緒に事業所のお菓子を買って帰る私。


今から10年ほど前の話になりますが、私は社会福祉事業所に通所していました。長いこと鬱の症状に悩まされ、バイトさえもハードルが高くてあきらめ気味。それでも本当は働きたい気持ちを主治医に相談したところ事業所を勧められ、通うことになりました。
途中で調子を崩して休んだ期間もありましたが、のべ3年間ほどお世話になった後、就職し卒業しました。
その中で最後の2年間ほど焼き菓子作りに携わり、慣れてきたところで職員の方の助言を受けながら新商品の開発もさせていただきました。当時作っていたお菓子はカステラを筆頭にシフォンケーキやクラッカー、バナナケーキ、クッキーなどありましたが、カステラに次ぐ主力商品がかりんとうでした。油で揚げずにガスオーブンで焼いて作る、ヘルシーさが売りの商品です。当時は味の種類がまだ2種類ほどで、売り上げも芳しくなく、何とかテコ入れをということで、新しい味を考えることになりました。
あれこれ考えましたが、ふっと頭に「味噌味」のアイデアが下りてきました。20代の頃に初めて勤めた会社で、味噌せんべいを作っていたのを思い出したのです。その、味噌の甘じょっぱい味が頭の片隅に残っていました。さっそく事業所の職員さんたちに話すと、かりんとうには白ゴマも入っているし、和風の味でいいかもしれないと賛成してくれました。
材料の配合を変えながら何種類かの試作品を作り、事業所の職員と利用者の皆さんにそれぞれを食べ比べてもらって、一番好評だったものを商品化することになりました。その後、かりんとうの形状を変えたりパッケージを変えたりして、私の卒業した現在でも味噌かりんとうは作り続けられています。通常なら歩行者天国やバザーなどで販売するところですが、このコロナ禍でイベントがことごとくなくなり、お菓子を置いてもらえる場所を探すのも大変なようです。うちの近所の農産物直売所で売っているのを見つけた時には心底ほっとしました。

そんなわけで、事業所のかりんとうを見つけると、買わずにはいられない私なのでした。味噌味は特に。

 

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手前が、私の発案の味噌かりんとう。奥は海苔味。

 

おやすみ前のウクレレ。

今週のお題「眠れないときにすること」

今は不眠に悩むことはなくなりましたが、日中の生活で気持ちが不安定になることはあります。そのままでは眠るのに時間がかかるため、少しでも眠りやすくするためにウクレレを弾くことがあります。
普段練習している中島みゆきなどの曲とは別に、寝る前専用のメニューを組んでいて、布団を敷いてパジャマに着替えて、すっかり寝る支度が済んでから一通り弾いて寝ることにしています。(時間がない時は、2~3曲で終わりにする場合もあります)

子守歌系が多いのですが、よく弾く曲を挙げてみます。

・眠りの精(ドイツ民謡・ブラームス編曲)
シューベルトの子守歌
ブラームスの子守歌
・フリースの子守歌(モーツァルトの子守歌
・遠き山に日は落ちて
・今日の日はさようなら
蛍の光
・きらきら星

こんな感じです。できるだけゆっくり弾いて、眠気を誘うようにしています。

ウクレレ以外の方法として、オルゴールCDも寝る前に聴いています。

個人的におすすめなのが、デラ(Della)社から出ているα波オルゴールシリーズ。曲目も、クラシックからJ-POP、ジブリアニメ、沖縄系の曲など豊富にあります。(最近の曲では星野源や米津玄師のも出てます)

あれこれ考えずに、頭ぼんやり状態で曲が入ってくるのに任せるほうが、聴き方としては良さそうです。

どちらも、脳がリラックスする方法として個人的に取り入れていますが、他にも何か良い方法があれば知りたいです。

 

幸福感受性。

 

Twitterで、素敵な言葉を見つけたので引用させていただきました。
ツイートした方は、川原卓巳さん。あの、”こんまり”こと近藤麻理恵さんの公私にわたるパートナーであり、彼女のマネジメントと片付けの手法「こんまりメソッド」のプロデュースを手掛ける方です。最近では初の著書「Be Yourself」も出版されました。

 終わりの見えないコロナ禍。連日の感染拡大のニュースに、気が滅入る方も多いと思います。それでも、日々の暮らしの中でささやかな幸せを感じ取れる力があればどんなにいいでしょう。それは沈む心に歯止めをかけ、苦しい中でも生き延びる術だと思います。

例えば、今の季節、冬。個人的には四季の中でも苦手な季節です。なぜか特に何をしなくても疲れやすく、睡眠時間を長めに取らないと体がもたない。あまり多くのことはできません。気持ちも沈みやすいです。そんな中、川原さんの「幸福感受性」という言葉に触れて、今の時期ならではの幸せに思いを巡らせてみました。

冬には、それなりに厚着をします。ダウンジャケット、マフラー、手袋。ウールの靴下。寝るときも、厚地のパジャマや温かな布団に包まれて眠ります。こうした温かなものに包まれる幸せを感じられるのは、冬ならではのものです。暖房や温かい料理が嬉しいのも、やはり冬ならではですね。
そして、冬の晴れた日はとてもありがたいし、冷たい空気の中でも温かな日差しを浴びるのはとても気持ちのいいものです。比較的空気が澄んでいますし、湿度も少なめですからね。

ネットや本を見ていても、冬は不思議と素敵な言葉に出合いやすい気がします。気持ちの沈みやすい時期だからこそ、心に響く言葉があるのでしょう。また、感受性も研ぎ澄まされてより良い言葉を拾い出す力が増すのかもしれません。

こうして書き出してみると、冬もそんなに悪くないような気がしてきました。もちろん、雪害や感染症など、危険なことはいろいろあります。それでも、ささやかな幸せはそこかしこにあると思います。私たちが気付き、関心を持って見つめさえすれば。